誰も助けてくれない状況は自立のレバレッジになる ひきこもっている状況では、困っているのに誰も助けてくれないことがある。実際、家族も「疫病神」みたいな親戚も、また、公的機関も役に立たない場合が多い。 しかし、「 困難な状況に直面して誰も助けに来てくれないとき、人は初めて一人前になれる 」(*46P)のである。この状況を レバレッジ(てこ) として活用しない手はない。 誰かに支配されるのではなく、自分の人生のコントロール権を自分で手にしたものだけが、心の底から人生を楽しめるからである。 誰かに見守られる感覚は人生のレバレッジになる 人生のコントロール権に加えて、「 「誰かが見守ってくれている」と思い出すだけで、自分の力を引き出す強力なレバレッジになる 」(*47P)ということがある。 この場合、「自分は誰にも見守ってなどもらえない」と不平を述べる方もおられるだろう。 当然だ。健全な家族関係があれば、必ず誰かが愛し見守ってくれるはずだ。そうすればひきこもったりして余計な苦労をしなくて済んだ。その通りだ。 だったら、 その場合は 聖書 を読めば神様から見守ってもらえているという感覚を手にできる。この聖書をひきこもり脱出のレバレッジにする方法はおすすめだ。 私はここで布教はしないけれど、それは良いアイデアだと思ったならぜひそうしてみてほしい。それ以外に、自分にはすでに愛してくれる人がいるとか、また、自分にはこれからある日突然、愛して見守ってくれる存在が現れるという自信があるというなら、無理にはすすめない。 私は今のところ誰にも愛してもらえないという人が誰かに見守られながらひきこもりから抜け出す方法は、当座は聖書を読んで神の愛に触れる以外にない。 それ以外に何かあるなら逆に教えてほしい。本当にそのようなものがあるなら人々の役に立つので、その知識をこのサイトを通じてみなさんに広めたいからだ。そうすれば「宗教はイヤだ」という人たちにも新たな選択肢ができるではないか。 私は別にここで議論をしたいわけではない。各自が自分に最適な「愛し見守ってくれる存在」を見つけてくれるならそれでいいのである。 読書はひきこもり脱出の強力なレバレッジになる 聖書を読むことももちろん読書の一環である。 私がなぜ読書をすすめるかといえば、多くの書を読破する中で、人生の師を見つけてほしいから というのが一つの
イマジネーションでレバレッジをかければ、誰でも超富裕層以上の暮らしができる。 無駄な努力や競争をやめれば、毎日がキャンプかピクニック。 聖書と人々の愛に感謝すると、いつでもニコニコとして生きられる☺️👩♨