スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

5月, 2024の投稿を表示しています

ひきこもりや低所得でも堂々と彼女を無限に増産する方法!

女の子から頼られる男になろう ひきこもりや低所得の人が彼女をたくさん作るには、趣味を極めて高い技能を習得し、女の子から頼られる存在になれるかどうかが鍵でしょう。 例えば読書術、英語力、ギター演奏、コンビニ接客術を極める等です。 もしもあなたがキモヲタ道を本気で極めたいと思うならそれもアリです。 街を観察していると、驚くことにキモヲタらしい男でもなかなか可愛い彼女らしい女の子を連れていることがありますね? あれにはビックリします。 世の中どんな理由で好かれるかわかったものではありません。 一つ言えるのは、何も極めていない薄っぺらな男は、女の子も頼りにしようがないということ。 女の子は男を頼りにしたいのです。 だから別に有名人になるとかではなくていいので、何か光るものを持ちましょう。 売れないミュージシャンや芸人がモテるというのはそういう理由ではないでしょうか。 積極性のある男が頼られる そのように圧倒的な個性とコミュニケーション能力さえあれば、彼女なんて無限に出来ます。 個性とは儲かる儲からないを度外視して好きな事にのめり込める能力のことです。 コミュニケーション能力、要するに積極性なんていうものは恐怖症のリミッターさえ外してしまえば無限に獲得できます。 コミュニケーション能力を100%発揮するには、まずは最低限の収入を得て、昼間にカラオケで遊ぶ程度のお金を用意しましょう。 カラオケは昼間に行く方が圧倒的に安いためです。 最低限の収入というのは、つまり節約デートをするためのお金ですね。 結局働くのかよという苦情が聞こえてきそうですが、この条件だけは何とか工夫してクリアしてください。 可愛い彼女を作るためです。 最低限のハードルなら越えられるでしょう。 告白したもの勝ち 彼女をたくさん作る際に圧倒的に不利になる無職状態を脱出するには、自分が最も楽に感じて最低限の収入を得られるバイト+本当にやりたいが儲かるかどうかはわからない仕事、例えば起業とか芸で身を立てるとかの組合せがいいでしょう。 交際相手に金銭的負担さえ掛けなければ引け目を感じる必要はありません。 それどころか心ある彼女であれば、男のプライドを傷つけずにこっそりと奢ってくれる場合も結構あります。 その分、愛情で応えないと怖い目に遭わされたりもしますが。 それはそれで乙なものでしょう。 男女が引かれ合うのは経済力と

ひきこもり脱出に必要なものはお金よりも知恵と愛だった!!

向精神薬の正体は幻覚剤 心理カウンセリングや向精神薬でひきこもりが治ることはまずありません。 第一、われわれ低所得者の場合は、有名な心理カウンセラーに払うお金がないでしょう。 ですから、無理にお金を払って心理カウンセリングを受けるくらいなら、図書館で借りるか中古で安く買って、河合隼雄先生や苫米地英人先生の著書を読みまくってください。 その方が間違いなく劇的な効果が望めます。 また、 向精神薬は脳内の神経伝達物質をコントロールすることで精神的な安定や幸福感を生み出す幻覚剤、要するにもっともらしい名前と作用機序を与えられた麻薬です。 このように向精神薬は恐ろしい物でもあるため、鬱でどうしても死にたくなってしまった場合等を除いて、乱用は避けた方がいいでしょう。 洗脳を解除してひきこもりを脱出する方法 ひきこもりの原因は、今まで生きてきた中で親や学校、それに世間やテレビ等を通じて押し付けられてきた価値観による洗脳です。 そのような洗脳を解除するためにも読書が大変に有効です。 読書では少なくとも1,000冊を目標に本を読んでください。 ちょっと大変かもしれませんが、それくらいに私たちが被ってきた洗脳被害は深刻だということです。 読書自体を楽しんでしまえば、1,000冊には案外簡単に到達します。 ひきこもり脱出に必要なものは愛 ひきこもり脱出に本当に必要なものは、心理カウンセリングや向精神薬ではなくて、愛です。 ただ、普通はそんなに簡単に愛情をくれる見知らぬ他人なんていませんよね? しかし、聖書ならほぼお金をかけずに神様からの愛をいただけます。 かかるお金は聖書の購入代金だけです。 それも中古でよいなら、メルカリ等で親切な方がほとんどタダで譲ってくれるかもしれません。 これも愛ですね。 メルカリなら写真で本の状態も確認できますから、神経症の人でも安心です。 神経症の画期的な治し方 ちなみに 神経症は、恐怖のビジョンを臨場感豊かに脳内に描いてしまっている状態なので、その臨場感を強制終了してしまうことで簡単に治ります。 この記事以外にも神経症の画期的な治し方について言及した記事がありますので、サイドバーの「ブログ内を検索」から探してみてください。 泉パウロ牧師が聖書の師匠 私が聖書の世界に導かれたきっかけは、泉パウロ牧師の「陰謀論」に関する書籍や動画に接したことでした。 それ以前に

依存や責任転嫁をやめれば、ひきこもりを脱出できる!☺️

積極的な姿勢が人々の共感を呼ぶ 私自身にも経験があるけれど、頑張っている姿が他人に見えてさえいれば、その必死な姿に何かしらの魅力を感じて応援してくれる人たちは出てくるものなのです。 これは本当に意外なくらいに、こんなに社会的に立派な人やきれいで気立てのいい女の人から自分などが好かれてもいいのかと思うくらいに好かれます。 それくらいに私たちの積極的な姿勢というものは人々に好感を与えるようなのです。これはいわゆる「モテる」要素としても、お金や容姿などよりも確実性があると言えそうなほどです。 しかし、 もしもそれがたとえば一方的に支援されるだけの立場、いわゆる可哀想な人扱いだったらダメですね。 それは見下され軽蔑の対象になってしまいます。だからそうではなくて、 あくまで他の人たちと対等な立場で自力で立ち居振る舞う必要があります。 体に障害があって周囲の介護がなければ活動できない国会議員の方がいますが、あの方たちは体こそ動かないものの、自分の意思で主体的に政治活動をしているから応援し手助けしてもらえていると思われます。 もしもあの方たちが自らの境遇を拗ねて自暴自棄になっていたとしたら、たぶん誰にも応援してもらえないと思います。よほど面倒見のいい人以外には、誰にも世話をしてもらえないのではないでしょうか。その点、人間は冷酷です。 しかし、障害や困難があっても積極的に意思表示し、周囲を活動に巻き込むことは可能です。そしてそうすることで人々の尊敬を集めることができます。 依存から脱却し自由を獲得しよう 障害がありながらも国会議員になるような人は偉いわけですが、単に健常者でひきこもっているだけであるなら、まずは自分に出来ることは何でも自力でやってみようという意気込みを持ち、様々な困難を克服していくことで成長をアピールできます。 これは何歳になっても、「あの人はひきこもっていてダメ人間かと思ったけれど、やれば出来る人なのではないか」と周囲の人たちに思わせ、ひいては希望を与えることができます。 周囲に希望を与えてくれる人は当然みんなから好かれます。これは当たり前なのではないでしょうか。 もちろん妬む人もいますが。それはそれです。 それでは具体的に何を一人で出来るようになるといいのでしょうか。 まずは家事全般、服を自分で選ぶ、自分の分だけでもいいので洗濯をする、炊事をする。そして知識や技

コーチングの権威ルー・タイス氏の『アファメーション』とひきこもり脱出!☺️

前回の記事でお約束したように、ルー・タイス氏の『アファメーション』(原題はSMART TALK)を読み終わりました。 アファメーションとは自己肯定のこと アファメーション、そしてルー・タイス氏本来の用語ではスマート・トークとは、ほとんど自己洗脳、もっと言えば自己詐欺と言ってしまってもいいものかもしれません(言葉は悪いですが)。 自分を想像力と臨場感で気持ち良く騙せたもの勝ちの世界。それがアファメーション(自己肯定)です。 この本を読み終えて私が思ったのは、人生とは自分や周囲の親しい人たちを、いかに楽しく自己実現させるかというゲームなのだということでした。 つまらないことで一々落ち込むことはないのです。落ち込むのは失敗や挫折などにフォーカスしすぎて臨場感を高めすぎていることが原因です。 そういう時は臨場感を解除してフッと我に返れば、冷静に事後処理に当たれるでしょう。 自己肯定(アファメーション)したいという気持ちがすごくあっても、現状の自分が「惨め」だと、「自分には自己肯定などは相応しくなく大それたことで、自己肯定をする私などは到底周囲の誰も認めてくれないだろう」と、自ら進んで自己肯定を辞退してしまうことがあります。 それは「惨め」さが自分の定位置(コンフォートゾーン)になってしまっているからですね。 そういう時は、今の自分は発展しつつある過程にあるのだと自他共に説得すればいいでしょう。確かに今は「惨め」かもしれませんが、これから欲求不満を解消して自己肯定感100%の自分になる途上なのだと自他を説得するのです。 お金は前向きなメンタルについてくる ルー・タイス氏の考え方で、私が一つだけそれはどうなのだろうと思うところは、金持ちを目標にしすぎるきらいがあるところです。 お金は明るく肯定的に生きられれば後から自然についてくるものなので、はじめからそれだけを目指すのはどうなのかなと思います。 はじめから金持ちだけを目指してしまうと、結局は無駄な競争社会に巻き込まれることになり、負け組になる恐怖に怯えなければならなくなります。 それではせっかくのアファメーションが元も子もなくなってしまいます。 ですから、 とりあえず現状は金持ちではなくても、節約すればどんな時でも楽しく生きられると思って明るく生きていれば最強でしょう。 そのような前向きなお金のやり繰りとメンタルであれば、いつ

お金をかけずに恋愛して自尊心を育みひきこもりも克服して一石二鳥!☺️

アファメーションする意味を考える 人間は大体脳の3%くらいの能力しか使って生きていないのだそうです。そして、 人間が残りの97%の脳を使い切れていないのは、無駄な恐怖心のせいです。 しかし、ここで厳しい訓練などを乗り越えて恐怖心を克復したのならさぞかしご立派なことなのでしょうが、私たちのような神経過敏な人間にとってはそれにも自ずと限界があるでしょう。これは当事者にしか分からない感覚です。 であるなら始めからそんな厳しい訓練はやめてしまって、自分がそれほど恐怖心を抱かなくても済むような分野で活躍するのが相応しいでしょう。 仮に恐怖心を克服したとしても大企業などで働く意義を全く感じられない人もいます。そう、私のようにです。 社長や役員になって年収1億円を目指すとしたら、どう考えてもそれなりの人間関係を築いていかなくてはなりません。 でも、そういうことが面倒臭いという人にとっては、それを「夢」として描くこと自体に無理があるように思えます。 それが自分にピッタリの「夢」でなければ、そもそもアファメーション(自分に対する肯定的な語りかけ)する意味がありません。 これは当たり前ですね。 セルフ・エスティームがあれば最強 大企業で働く意義が感じられず、コンビニ店員やUber Eats で働くことに親しみを覚えてしまった場合でも、「どうせ下層民がやる仕事」と卑屈になるのではなく、「自分は巨大資本に上手く便乗してマイペースにまんまと楽しく働いてるんだ」と前向きに捉えるという手があります。 卑屈にならなくて済むためにはセルフ・エスティーム(自尊心)を育むことです。幸福に生きるためには、金持ちになる等よりも先に、まずは自分を犠牲にしないことの方が大事なのではないでしょうか。 お金を云々するのはそれからでも遅くありません。 誰かに職業を聞かれた時にコンビニ店員やウーバー配達員と応えるのを恥じない方法は、それらの職業の好きなところを具体的に述べられるようにしておくことです。 そうすれば聞いた相手もただ馬鹿にするだけではなく部分的には納得します。ですから基本どんなささやかな職業でも好きでない(愛がない)ならやらない方がいいです。 恋愛だって全く好きではない相手とおつきあいすることにははほとんど意義がないでしょう。 でもたとえ世間の価値観と相反する外見の恋人だとしても、「この子はこんなにブサイク

ビートルズのゴーストライター疑惑に学ぶひきこもり脱出!☺️

ビートルズの名曲はゴーストライターが書いたのか? ビートルズの曲の多くは、実はゴーストライターが書いたものだという説があります。にわかには信じ難いのですが、かの有名な脳科学者であられる苫米地英人先生もチラッとですが、著作の中でその説に触れられていますから驚きです。 「 ビートルズの楽曲で、実際に本人たちが書いた楽曲は少ないと言う評論家もいる。裏にプロのゴーストライターがいたという噂が絶えない。よく知られていることではあるが、ちゃんとクラシックを学んた人でないとつくれない楽曲がいくつもあるからだ。 リバプールというイギリスの田舎町の不良少年たちにつくれるわけがないというのが、そのような主張をする人たちの理由だ。 実際のところはわからないが、裏に強力なプロデューサーやプロモーターがいたことは事実である。 」 (『苫米地英人大全1 成功への思考法』苫米地英人 KKロングセラーズ 70〜71Pより引用) そうすると主にレノンとマッカートニーの間で、たまに楽曲の手柄を奪い合ったりするケースがありましたが、例えば名曲「イン・マイ・ライフ」をどちらが主に書いたかで揉めたりしたやり取りも、全部演技だったということになるのでしょうか。 もしあれが演技だとしたら彼らは相当な名優です。 またメンバーではありませんが同時代の音楽仲間、例えばビーチボーイズのブライアン・ウィルソンらもまんまと騙されて彼らを崇拝していたことになってしまいます。しかも2024年になっても未だにです。そんなことがあるのでしょうか? 本当はクラシック音楽からパクった説が有力 そしてもしもゴーストライターがいたとしたら、絶対にその張本人が暴露本等の出版でボロ儲けを目論んだはずです。これほどの手柄を立てた人物が大人しく黙っていなければならない理由はありません。 それとビートルズにゴーストライターが存在した説を体系的に論じた研究書は存在しません。あるにはありますが、どれもチラッと触れた程度です。 そのような状況証拠が数多く存在するために、このゴーストライター説は(残念ながら?)ガセであると結論づけられます。 ただ、話題性としてはとても面白いですね。誰か小説か映画にしてみると良いと思います。私もそれを見てみたいですから。 それくらい魅力的なテーマだからこそ、みなさんもこうしてこの記事を訪問してしまったというわけです。 確かに

嘘にならない程度の職歴を創作し説明できればひきこもりを克服できる!☺️

論破は最後の手段 ひろゆき[西村博之]氏の『論破力』という本を読んでみた。読了してみて思ったのは、「私なら論破という行為をすること自体が面倒臭いな〜」と思ってしまったということ。 はじめから喧嘩腰とか他人の揚げ足を取って面白がるような輩は相手にしないのが一番。私ならいかに効率的にその状況から離脱するかということだけに注力するだろう。 議論の勝ち負けとかいう私にとってどうでもいい争いから生ずるストレスや心配を一刻も早く取り除き、自分の縄張り内に無駄な努力をしないで済む環境を取り戻す。それだけ。 私の場合論破は、本当に論破する以外に自分を守る方法がない場合のみに限られる最後の手段なのだ。 「論破力」より「懐柔術」 他人と揉めた場合に、相手と一対一よりは、第三者が見ている、つまり証拠が残る状況で問題を処理するのがいいという。それは確かだ。 日本人ならどんなゴロツキでも人の目は気にするから。その証拠にどんなヤンキーだってコロナの時はちゃんと真面目にマスクをつけていたという驚くべき光景をみなさんも目にされたでしょう。 論破力という言葉自体がはじめから喧嘩腰という印象があるからあまり好きではない。第一「俺は口喧嘩だけは自信がある」という人物にろくなやつはいない。少なくとも私はそんなチンピラ弁護士キャラにはなりたくない(私が最も嫌いな部類の人間)。 私だったら相手をやり込めて論破するなんてほとんど最後の手段だと思うし、そんな険呑(けんのん)なやり方ではなく、もっと穏健に「懐柔術」を用いるだろう。 それは言葉の「柔術」だ。相手に受け身をするくらいの余裕は与えてやるのが後々恨まれずに済む。 とにかく無駄に論破とかをする気はサラサラない。議論に勝ちたいとかいうよりも、喧嘩を売ってくるような嫌なやつとは一切関わらない。相手をおちょくって怒らせて楽しむみたいなゴロツキとも一切関わらない。それが私のやり方。 起業家=サイコパス説?! ITベンチャーで成功して金持ちになったような人は大体 サイコパス(反社会性パーソナリティ障害) 的な人が多い(※私はそんなんじゃないと仰るIT起業家もいるかもしれない。もちろんそうだ)。そういうやり方を我々健常者が模倣すること自体がはじめから無理ゲーでしょう。 程度の差こそあれ、他人の顔を踏んづけてテヘペロごめ〜んと笑って楽しめるような人間だから成り上がれたので