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神経症の脳科学的な克服法でひきこもり脱出!パニック障害・PTSDなどに効果的☺️

若さと成熟の真実

若い頃は、人生経験や知識に乏しいことの代償として、年長者の保護欲求を掻き立てるように、男女ともに外見のあどけなさや美しさが与えられている。神が作られた摂理はとても精巧に出来ている。

つまり、年を取るということは成長しなければ損だということ。成長しないと、単に外見が醜くなっただけになってしまう。


ところが成長して知恵を獲得し成熟できれば、外見が醜くなった見返りに得るものがあったと納得できる。

そのような取引が上手く行かないと、代金(=若さ)を支払ったのに、商品が届かないじゃないかという不平につながる。

しかもその際、クレームをつける相手は存在しないという。これは最悪だ。



ひきこもり当事者は英語学習に適している

以前の趣味の記事の中で英語学習の話をチラッとしたけれど、実はひきこもり当事者ほど英語学習に適している人たちはいなかった!!

なぜなら、ひきこもり当事者は他人と接触する機会が極端に少ないため、日本語無しで英語漬けになれる環境が驚異的に整っているからだ。

英語習得は、日本語無しで英語の回路を作る作業。英語学習で人生の一発逆転も可能。


英語はそれを武器に就労しても意外に儲からないというけれど、それは通常の就労の場合だ。例えば通訳、翻訳、英語講師等として働いても年収300〜400万円くらいだという。

しかしネット上であれば、英語を使って稼ぐ場面はアイデア次第で無尽蔵に存在している。



ひきこもり当事者は罪の意識を克服しよう

どうせなら楽しいことをやりなからひきこもりを脱出するのがいい。でも、多くのひきこもり当事者は、「自分は楽しいことなどしてはいけない罪深い人間である」と思い込んでいるフシがある。

それはたぶん、親や学校教育からの洗脳でしょう。彼らはそういう、自分が最も嫌っている対象から最も洗脳されているのに、それを冒すべからざる大層ご立派な価値観であるかのように、後生大事に抱え続ける。


私などは、どうせそんなに罪の意識を持つなら、クリスチャンとして人間の原罪に目覚めればいいのにと思ってしまう。そうしたらむしろ神に愛されてひきこもり脱出が早まるのにと。

ただし、いつも言っているようにクリスチャンになりましょうというよりは、聖書を読みましょうということだけれど。

聖書は、ひきこもり脱出にとってこれほど有効な書物であるにも関わらず、ハナっから「宗教」だと毛嫌いし馬鹿にする日本人的な価値観の持ち主たちにとってスコトーマ(盲点)になっている。非常に勿体ない。



ひきこもりのリミッターを外そう

思うにひきこもり当事者は、自分を変えたいけれども変わりたくもないという曖昧な境界線上を漂っているために、ひきこもり脱出に必要な情報を脳が受け付けない状況に陥ってしまっている。そのリミッターをぜひとも外していただきたい。

そのための良い方法は、ひきこもり脱出は楽しいから、自分も是非それを成し遂げたいんだと強く思考し決意することである。そうすればスコトーマがきれいに外れる。

すると、引きこもり脱出に必要な情報が脳に流れ込みはじめる。


ひきこもり当事者は他人の意見を頑として聞かない。それは過去に優等生であった等のつまらないプライドが邪魔をしているのかもしれない。

しかし、ここで冒頭の話とつながるが、うかうかしているとあっという間に年を取って認知症が始まってしまう。認知症は早ければ40〜50代から始まる。

また、耳が聞こえなくなったり視力が落ちたりするかもしれない。そうなる前に手を打って楽しく生きられるようになってほしい。

これは本当にそう願っている。時間は限られている。


ひきこもりのリミッターを外そう。もう充分に考えたのだから、そろそろいいでしょう。



神経症の画期的な克服法を発見!

英語学習とかスコトーマに関する脳科学的な手法は、詳しくは苫米地英人先生の著書に当たって、各自が自分に適した方法論を確立してほしい。


それと苫米地英人先生の脳科学・コーチングの理論は、ひきこもり当事者に多い各種神経症(対人恐怖症、強迫神経症、パニック障害、それとPTSD)の克服にも効果的だということに気がついた。

神経症者は、自分が作り出した非現実的な各種の恐怖症のビジョンを、異様にリアルな臨場感を持って脳内で勝手に描いてしまっている。

よって、そのリアルすぎるビジョンを描くことをやめてしまえば恐怖症は直ちに治る。これはビックリするくらいに治る。

まずは苫米地英人先生の著作を10冊以上は読破して、各自研究してほしい。


従来では神経症の克服法として認知行動療法森田療法が有効といわれてきたけれど、もうそれらも不要な時代が来るかもしれない。

ただし、神経症の克服には慣れやSST等の訓練も必要なため、それらの治療法の意義が完全に失われるわけではないけれど。


それでも治らない神経症は、病人ぶっている方が周囲から気遣ってもらえる等、本人にとって治らない方がメリットがあると自ら選択している場合だろう。

それが本人にとって生存戦略になっているというなら、他人がとやかく言う問題ではない。

それは年金等に頼って一生ひきこもることが楽しくて仕方ないという方たちについても同じである。

本人が誰にも迷惑をかけずに心の底から楽しんでいるのに、赤の他人が「働け!」などと指示するのは大きなお世話である。


ただ、神経症の場合は本人が作り出している病気であるという側面がある。苦しんでいるのなら、ぜひとも治して元気になってほしい。期待している。



The author of this article is Tomohiro, a Japanese Hikikomori Escape Guide.


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