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ひきこもりの親は子から役割を奪いすぎ!ひろゆき氏から学ぶ(年齢不問)☺️

需要の分析が必要

突然だけど、このまま読書感想文的な記事を書き続けることに意味があるのかと思いはじめた。どこの誰だか知らないおっさんの読書感想文なんかに一体誰が何を期待するというのか??・・・・・

仮にも「ひきこもり脱出温泉」などという奇抜なタイトルのブログに求められるものは、ひらめきに満ちた異次元の考察だったり、みんなの盲点になっている意外なひきこもり解決法だったりだろう。キーワードはひらめきだ。

そもそも「ひきこもり」すら関係ないのかもしれない。ひきこもり解決法なんてそんなに社会の需要ない。それを敢えてやるのは、あまりにも当事者が食いものにされすぎているから(ひきこもり当事者以外にも言えることだけど)。

騙される馬鹿が悪いのだと言ってしまえばそれまでなんだけど、ある種の人たちには「ひきこもり脱出には60万円必要だから振り込め!」とか言われた方が有り難味があるんだろうかね?

私みたいな無料の情報提供は有り難味が皆無だから、やっぱり需要なしか。

スランプというのは、もっと偉大なブロガーが陥るものであって、私がそれを語るのは十年早いのは知っている。でも、求められているのはワクワクする冒険なんだ。この路線を続けていっても不毛な気がしてきた。勝手にね。



ひろゆきさんとひきこもり

ひろゆきさんに関して言えば、ああいう誹謗中傷メディアを流行らせて、しかも削除を求められても応じないで裁判だ何だとすったもんだやっていた極悪人というイメージしかなかったし(そういうイメージを持つと人相もとても悪く見えてた)、私自身も2ちゃんねるの誹謗中傷被害に遭ってきたから、2ちゃんねらーもひろゆき氏も人間として心から軽蔑し極力避けてきたんだけど、最近の私は毛嫌いせずに誰の意見でも聴いてみようという方針だから彼の動画を何気なく見てみたら、結構ニコニコしながら面白いことを話してる。だからちょっと好きになっちゃた。

人柄っていうのはやっぱり五感で感じるもので、文字だけであの方のような歯に衣を着せぬもの言いに触れてしまうと実際以上にキツく感じる。素のひろゆきさんはご本人も言ってるけれど単に多動なだけで、相手を攻撃してやろうだとかそういう意図はなさそう。

しかもひろゆきさんは、ひきこもりのことにもかなり言及してたという。それならいいやつなんじゃないのか?本人は良い人(偽善者?)と見られるのは嫌いみたいだから、敢えて偽悪的になってるフシもあるね。



ひきこもり脱出に必要なのは頑張らないことだった

そういう一流の人たちに共通するのは、チャレンジするとしても絶対に頑張らないこと。それが大事みたい。ひきこもりを脱出したいなら変に力むんじゃなくて脱力すること。無理に頑張る必要がなく、自分が本当に楽しいと思えるやり方で脱出するのが理に適っている。それが当然だった。

たとえばプラモデルを作る人がいたとして、「嫌々頑張りながらプラモデル作りに励んでます!」みたいな人は、痛々しくてとても見ていられないだろう。それ好きじゃないんじゃんていう。

どうせなら楽しく気持ちよくがテーマになる。第一、「努力しろ」みたいな事をわざわざここに聞きにくるもの好きはいないでしょう。いくらタダだってね。

ひろゆきさんなんかに言わせたら、馬鹿な読者を騙して儲けるのがネットの醍醐味なんだとかあっけらかんと言いそうだけど、私は真面目だから、やっぱり同じような真面目な人たちに好かれて生きたいって思っちゃう(ひろゆきさんも真面目なんだろうけどね)。詐欺や騙しが横行する昨今だからこそ、求められているのは誠実さだとか正直さなのだ。

大谷翔平選手が受けるのもそういう理由なんだと思う。彼のように無理をしている様子もなく、楽しく自己実現していく姿を自分に重ね合わせて見ていたいんだよ。みんなは。



偉い人は陰で努力なんかしてない

よく凄い人は陰で人一倍努力してるんだみたいな言い方をするのは、所詮は人生を楽しみきれてない不幸な奴隷人間たちの慰めに過ぎない。本当に凄い人たちは陰で努力なんかしてない。ハツラツと楽しんでいる姿。それがすべて。ありもしない陰とか日向とか裏表が見えてしまうのは、不幸なネクラ人間の性(さが)だった。

だからひきこもりを脱出したいなら、みなさんが今まで耳にした、いかにも楽しくなさそうな就労支援だとか、誰かがこう言ってたからもう俺は駄目なんじゃないかとかのネクラな思い込みは一切捨てましょう。

面倒臭い時代だからこそ、求められてるのは単純な明るさや快活さ。それを追求しよう。過去がどんなだろうと、いま現に楽しそうにしている人を見れば「この人は大丈夫そう。好き」って思ってしまうのが人間だから。



ひきこもり支援はオワコン

ひきこもりから脱出できないのはみなさんの考え方が間違っていた部分もあるけれど、支援する側の考え方も圧倒的に間違っていたから。別に支援を通さなければひきこもりを脱出できないわけではない。本来であれば法律に反しない限りはどんな社会的活動や働き方をしてもいいのだ。色々騙されないためには最低限の法律の知識も必要。

とにかく「自分はこのような過去を持ってしまったからもうお終いだ」等の無駄にネガティブな考えは完全に間違っている。そんな自虐は豚の餌にもならない。過去なんて未来からいくらでも書き換えられるのだ。

よく「新しいことに挑戦しましょう」と言うけれど、あれは新しいことに挑戦することで今まで気づかなかった視点を手に入れるということ。これは親や学校といった権威者から植え付けられた固定観念という怪物をやっつけるのに役立つ。

当事者を食いものにするひきこもり支援はオワコン。それに最後のとどめを刺すのがこのブログの主な役割なんだ。



ひきこもりの親と子に伝えたいこと

読書は最もお手軽な人生の冒険といってもいいでしょう。頭の良い人に影響されることが、最も簡単に頭が良くなる方法だ。本当に頭が良い人はケチではない。惜しげもなく良い事を教えてくれる。ひきこもり当事者のみなさんも、そんな著者を探してみましょう。人生の師のような著者に出会えれば、ひきこもりなんて余裕で脱出できる。

ひきこもりは未だに明確な解決方法が確立されていない分野だから、どんなひきこもり脱出方法を編み出しても自由。こんな楽しいことない。

ひきこもりは親が一生懸命に先回りして子のために何でもしてあげてしまうということが大きな原因の一つ。でもこれの問題点は、決して悪気があってやってるわけではないから、誰も文句が言えなくなってしまうところ。

本来であれば、子(年齢は不問だが)が自分の判断で問題を解決できるように見守るのがいい。そうすれば子は自らのアイデアで楽しく自立していける。子だって何でもかんでも世話してもらえて、自分の役割ややることが何もなくなってしまうのはツライんだ。

一生懸命にやるなら、いかに愛情を持って子を突き放すかだろう。是非そうしてほしい。


結局いい記事が書けた。ありがとう。



The author of this article is Tomohiro, a Japanese Hikikomori Escape Guide.




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